初宮参り・車祓い・厄祓い・七五三は高浜市の春日神社

愛知県高浜市春日町2丁目1番地8

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境内案内

春日神社境内のイラストマップ

春日神社境内の施設の詳細を解説します。上記イラストマップ内の赤字の番号と下記のひし形に囲まれた番号とが紐付けされています。随時、説明を追加していきます。

  • 1
    春日神社(かすがじんじゃ)

春日神社 拝殿

檜皮葺きご神門と太鼓橋

高浜市有形文化財「高浜湊図」

<ご祭神>

春日神社は天津児屋根命、武甕槌命、経津主命、姫大神、天押雲命、吉備臣建日子命、保食命の七柱の神様をおまつりしております。

<社殿および奉納品>

ご本殿はもとより、ご神門の屋根も檜皮(ひわだ)葺きと古来より用いられている伝統工法で造られ、そのお姿は荘厳です。

※檜皮葺きは概ね30年程度で傷み、その都度屋根葺き替えの修理を繰り返す必要があります。

ご神門の前には延宝六年(1678年)奉納の「石造狛犬一対(高浜市有形文化財)」が構え、太鼓橋も整備され威厳があります。

拝殿内には江戸末期に奉納された豪華な額絵馬「高浜湊図(高浜市有形文化財第1号)」が掲げられ、港いっぱいに描かれた江戸帰りの十七艘の船が当時の高浜港の隆盛を物語ります。また享保八年(1806年)に奉納された「瓦焼狛犬一対(高浜市有形文化財)」は高浜の瓦として得難い古文化財として修復され、現在ではかわら美術館に展示されています。

<月次祭・旬祭>

春日神社では毎月の第一週目の日曜日に月次祭、第三週と第四週の日曜日に旬祭を奉仕しております。春日神社の月次祭・旬祭は少なくとも明治以前から続いております。もともと旬祭は宮中にて古くから斎行されており、平安時代に奈良の春日大社にも移され900年以上欠かすことなく連綿と奉仕され、皇室のご安泰、国家の繁栄と国民の隆昌を祈っております。

<ご神紋>

ご神紋は東六条八ツ藤です。

  • 2
    八剱社(はっけんしゃ)

八剱社 拝殿

彫常作 子持龍

彫常作 十二支 午

<ご祭神>

ご祭神は「日本武尊」で九州から東国まで日本各地を平定した英雄神です。

<創建と鎮座地の変遷>

八剱社は正安三年(1301年)に熱田神宮内の別宮八劔宮の分神を受けて創建されたと伝わります。

当初は景勝地である西海戸に鎮座しており、氏神春日神社と同じように扱われ、祭礼も共に実施しました。

明治、大正、昭和と時代が進むにつれ高浜の窯業界の発展著しく、周辺には工場が増加して西海戸が適地ではなくなった為、古くから御旅所として利用し有名な田戸渡し場があった洲崎に移転遷座しました。

また昭和三十一年に衣浦大橋が開通し、碧南方面へ至る衣浦豊田線(道路)新設の際に境内地に道が掛かることとなり、昭和四十九年に春日神社の東方隣地に遷座しました。本殿・拝殿・屋根等は同形であるが、近代式に鉄筋コンクリートづくりに改造されました。

<社殿>

拝殿の欄間(らんま)には子持龍、蟇股(かえるまた)には十二支の「彫常」による見事な彫り物が掲げられています。

<ご神紋>

ご神紋は五七桐です。日本政府や豊臣秀吉などが用いている紋章と同じです。

  • 3
    神楽殿(かぐらでん)

神楽殿は平成元年に氏子の浄財により竣工しました。

竣工前は、おまんと祭りでの神楽の奉納は春日神社や八剱社の拝殿で行われており、賽銭を踏んだりして、不便でした。その状態を改善すべく当時の氏子さんたち浄財を集め、近郷まれに見る大きさと規模で無事に竣工しました。

神楽殿はコンクリート造りで、祭礼時などに巫女舞・神楽が奉仕されます。また桜祭りの際には舞台としても使用されます。

神楽殿内には豪華な二層の塔形の「若宮神輿」が安置されています。第一層、第二層ともに現在は略されて作られない懸魚(げぎょ)が見られ、屋根の左右に金鯱が乗り、細部まで丁寧に造作され見ごたえがあります。

※懸魚は火を防ぐ意のもので、魚は水にすむからです。

  • 4
    受付(うけつけ)

平成29年6月の受付

令和元年5月の受付

ご祈祷のお申込みやお神札・お守りを授与する建物です。平成二十九年に神社の発展を祈念し、氏子総代より新しく受付の台が奉納されました。

また平成三十年に台風21号の被害で、授与品一覧が飛ばされた為、氏子総代一同より新たに大きな掲示板が奉納されました。

令和元年5月1日に新帝陛下のご即位を記念して神社役員一同から「看板」が奉納されました。皆さまのご協力により随分、受付がにぎやかになりました。

  • 5
    社務所(しゃむしょ)

大正三年建設の当春日神社の社務を取り扱う建物。参集殿も併設されており、結婚式等では控室として使用します。

  • 6
    津島神社(つしまじんじゃ)

天王祭の日の津島神社

天王祭 茅の輪神事

牛頭天王(須佐之男命)を祭る末社。毎年7月第1日曜日の17時より天王祭と茅の輪神事が斎行されます。

江戸時代の高浜祭事帳にも牛頭天王祭礼としての記事が出ており、高浜で古くから続く祭りの一つです。

天王祭は、牛頭天王と蘇民将来の故事に由来します。

  • 7
    高浜神社(たかはまじんじゃ)

招魂祭

由緒書き

大正二年創建の高浜のご英霊をお祀りした神社。

ご英霊506柱をお祀りしております。

始めは東京九段下の靖国神社を遥拝所の形式でしたが、遥拝するだけでは事足りないとして、大正二年に高浜出身のご英霊を祀り創建されました。

毎年、秋に高浜・吉浜・高取合同の高浜市遺族会主催の「招魂祭」が斎行され、故人の遺徳を偲び、平和への誓いをたてています。

拝殿にはご英霊の遺影を祀っています。

 平成30年度の招魂祭の際に、一般の方にも高浜神社のことを知ってもらえるように「由緒書き」を奉納しました。

  • 8
    古札社(こさつしゃ)

古札社は古いお札・お守り・縁起物(破魔矢・熊手)などの神社で授与されたものを納める場所です。定期的に清祓の神事を斎行し、お焚き上げています。

注意:人形・ぬいぐるみを捨てないでください。

 日本人形や雛人形などの人形には古来より「作者の想いが込められている」「持ち主の魂が入る」等といい伝えられております。古くなった人形などは必ず授与所にご持参いただきまして「人形の清祓い」を申し込み下さい。

  • 9
    御鍬社(おくわしゃ)

五穀豊穣の御神徳がある女神 豊受大神を祀る末社。豊受大神は伊勢神宮外宮でまつられていることでも有名です。

創建は不詳だが、現存する棟札より享保2年(1717年)8月に社殿の造営をしており、300年以上の歴史がある。春日神社境内に遷座する前は、高浜と吉浜の境にあった御見立池周辺にあったと伝わる。

  • 10
    行者堂(ぎょうじゃどう)

行者堂は役行者を祀るお堂。

小祠堂内には右手に錫杖、左手に経巻を持ち高下駄をはいた来長院観行坊という行者(修験道)の石像」が安置されています。建立は宝歴七年(1757年)にされた。もともとは春日神社境内の南西にあった行者山の崖の上に鎮座していましたが大正3年頃に現在の位置に移転されました。

  • 11
    森前秋葉神社(もりまえのあきばじんじゃ)

森前秋葉神社(大正初期)

森前秋葉神社 拝殿

拝殿屋根留蓋 浦島太郎

正月の賑わい

元来は森前渡しで有名な森前に鎮座していた旧六区の氏神様。創建は天保十一年。大正七年九月に森前より春日神社境内に遷座しました。火伏の大神である迦具土神が祀られています。

現在、秋葉神社奉賛講による春の大祭・秋の大祭・元旦祭などが斎行されます。年始のおしるこの振る舞いなど地域貢献にも熱心なお社です。

平成の大修理として、森前から春日神社境内に遷座後八十二年目に屋根の葺き替え工事を行いました。

御殿や手水舎の屋根の留蓋には高浜らしく、烏天狗や浦島太郎、仙人などの「飾り瓦」が個性豊かに載っています。

また拝殿の軒の欄間にある雲に浪・龍・馬の木彫は、創建当時から伝わる「出羽国の看竜」の作品と伝わっています。

  • 12
    山ノ神神社(やまのかみじんじゃ)

大山祇神を祀る神社。山林守護・漁業守護の御神徳がある。創建は定かではないが、一説によると春日神社と同年の発祥ではないかと伝わります。

  • 13
    秋葉神社(あきばじんじゃ) 商栄講

火伏の大神である迦具土神を祀る境内末社です。

  • 14
    御厩(みうまや)

神様が騎乗する神馬の小屋。餌のいらない神馬がいます。平成十二年竣工。

  • 15
    馬場(ばば)

おまんと祭りの時には直径36mほどの丸太を組み円形の馬場が造られ、その中を人と馬が駆けます。

馬場の直径が大きいほど馬の速度は上がります。高浜の馬場は広いことから、その分、馬の速度が上がりトマるのが難しくなります。

  • 16
    馬つなぎ

おまんと祭りには丸太にて馬の待機場所が作られます。馬つなぎには鹿幕が付けられることが伝統です。

  • 17
    上組の秋葉神社(俗称:若宮さん)

岩月仙太郎 作 「龍の飾り瓦」

江戸時代建立の国家安全の常夜灯

正月の賑わい

若宮さんは大正元年に北浦より春日神社境内に遷座しました。

若宮さんは社殿の破風(はふ)の下についている高浜出身の職人岩月仙太郎の作品である大きな「龍の飾り瓦」が有名です。

明治の終わり頃まで若宮さん所有の常夜灯は毎日当番制で点火されていました。この常夜灯は標高17.5mの高台にあり、基礎台も含めると火柱が約22m近くまで上がり、随分遠方からも見え、漁船や高浜港出入りの船はこの常夜灯を目安としていました。

この常夜灯はその大きさも珍しいですが、それ以上に「国家安全」の四文字が刻まれている点が特筆すべきです。普通は「村内安全」「郷中安全」が多いのに、この半漁農村の田舎で「国家」を意識した高邁な精神を持つ人物が天保時代の高浜にいました。

この巨大な常夜灯は、昭和33年に春日神社境内の若宮さんの近くに移動し、現在はひっそりと佇んでいます。

  • 18
    秋葉神社・金刀比羅社・大山稲荷神社

寺内にあった秋葉神社・金刀比羅社が遷座し春日神社境内内に移転しました。ご祭神は海上安全のご神徳を持つ大物主神を祀ります。

また稲荷社はもともと元県神社の境内にあり、県神社が大正五年に春日神社に合祀されてから春日神社境内に移転していましたが、八剱社が移転し、その背後となった為、平成二十年に秋葉神社・金刀比羅社に合祀されました。稲荷社のご祭神は倉稲魂神、猿田彦神、大宮女命です。

倉稲魂神(うかのみたま)は、商売繁盛・五穀豊穣のご神徳がある有名な神様です。猿田彦神は道開き・交通安全の神様で、スポーツ選手などに崇敬者が多い神様です。

  • 19
    服部天満宮(はっとりてんまんぐう)

新しくなった服部天満宮

服部天満宮は、春日神社境内南西に位置し、数多くののぼり旗がはためく神社で、春日神社西側の服部新田築堤時に創建されました。

服部新田の開発は、碧南出身の服部長七翁が中心となり実施されました。服部長七翁は「人造石」という自然材料を用いたコンクリートのような建築材料を発明し、「人造石」を初めて海岸で用いて春日神社の西側の海岸の埋め立て工事を行い服部新田を開発しました。開発時の資金繰りにも苦心し、5代目中埜又左衛門(ミツカン5代目社長)らの出資などを受け、明治15年に無事竣工しました。

 

服部天満宮の創建は明治15(1882)年で、当初は服部新田の水車工場の中央奥に鎮座していました。その後、服部長七翁の水車場事業の撤退により、100mほど南に遷座し、新田奉賛者によりお祭りが行われていました。

 昭和34年9月26日の伊勢台風の襲来により、お社は対岸の知多石浜まで流されてしまいました。その後、春日町老人グラブの申し出で、昭和57年12月に現在の春日神社境内に再遷座し、毎年2月25日、天神さんの命日に例祭神事を斎行しています。

また平成30年12月25日に遷座祭を斎行し、お社を新たに作り替えました。

  • 20
    秋葉神社(あきばじんじゃ) 真納組

真納組の氏神で火伏の大神である迦具土神を祀ります。

生活に深い関わりをもつ火の守り神を祀る秋葉信仰は江戸時代に爆発的に広がりました。特に窯業が盛んな高浜では、生活だけでなく仕事でも火を使ったため、各組毎に信仰されたのだと思われます。

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